関東地方で盛んに生産されている伝統工芸
林田学が見る関東地方の伝統工芸について
関東地方の伝統工芸は、上方から流入した文化の影響を受けながらも独自な発展を遂げてきました。
その歴史は古く、古代にまで遡ることが可能ですが、特に発達したのは江戸時代からではないでしょうか。
商人が隆盛を極めた大坂の街とは対称的に、江戸は職人の街としても発達したことで、今日に通じる名品が生まれることになりました。
南関東の江戸で発達した作品では、江戸切子も重要になると考えられます。これはガラス工芸の一種で、表面に対しては極めて複雑な模様を切子で表現するのが特徴です。清涼感のある色合いも特徴で、東京の下町らしい気風を感じられるデザインでもあります。カットの技術は繊細で、微妙な角度の違いによって生まれる種類は多彩です。幕末に誕生してからは、西洋の技術も取り入れながら、さらに進化を続けていきました。江戸切子の生産は減少傾向にありますが、現在でも人気が高いため、伝統の継承が急務になっています。
江戸の中心部では荒川や中川などの河川が流れ、水産物資源に恵まれた環境でした。こうした恵みを享受するために、江戸和竿を作る技術が根付きました。現在の生産地は、東京下町の荒川区や葛飾区などが中心です。材は強靭でありながらも粘りがある竹材を使うのが特徴で、実用的な機能性とともに伝統工芸品としてふさわしい美観を備えています。生産地は下町ですから、関東大震災や東京大空襲の災禍に見舞われ、技術の継承が難しい時期もあったようです。それでも、厳しい時代を乗り越えて継承されており、現在では東京の名産品の一つとしても高く評価されています。
北関東の地域には独特な文化があると林田学は言う
北関東の地域には独特な文化があるもので、中には古代の時代からの歴史を有する伝統工芸品もあります。群馬県には蚕糸業の発展と関連するものが多く、伊勢崎絣や桐生織などが代表的になっています。桐生織に関しては、京都の西陣と並ぶほどの名品とされており、その名声は全国に知れ渡っていました。伊勢崎絣の知名度も高く、幕末から近代化の時代に至るまで、販売を拡大して地域経済を支える原動力になっていました。
埼玉県の伝統工芸も歴史的なものが多く、秩父で産出される絹製品の他には、小川町の和紙が特に有名です。小川町は全域が緩やかな山に囲まれた地形で、平坦な場所には槻川や兜川などの清流が流れています。澄み切った水は和紙の生産には最適ですから、この場所では古代の昔から製法が受け継がれてきたのです。職人は冷たい水を上手に使いながら、手漉きの製法で和紙を作り上げます。基本的には楮だけで作る細川紙については、2014年にはユネスコの世界文化遺産に選ばれました。さらに、国の重要無形文化財の指定も受けており、その価値の高さが公式に認められています。
栃木県で生産されているものでは、陶器の益子焼が代表的ではないでしょうか。江戸時代に黎明期を迎えたのが最初ですが、当初には実用的な日用品を作ることが常でした。ところが、昭和の時代になると新たな気風が生まれ、芸術的な価値が高い作品が生まれるようになったのです。この影響で、茶道具の銘品も作られるようになり、益子焼の人気も全国規模になりました。もともとは民芸品として出発した経緯があるため、益子焼の色彩には落ち着きがあり、古風でありながらも斬新な造形美があります。このため、使う人の個性に合わせる形で、変幻自在に楽しめることが魅力になっています。
林田学も好む茨城県の笠間焼の知名度は非常に高い
栃木の隣の茨城県においても陶芸が盛んで、笠間焼の知名度は非常に高くなっているようです。国指定の伝統工芸品にも選ばれており、200年以上の伝統もあります。秋の季節になると、関東では最大級の規模を誇る陶器市が開催されることも有名です。笠間市付近の土壌は火山灰の関東ローム層が中心ですが、八溝山地の南端部にある筑波山は花崗岩の地質です。こうしたことから、笠間焼にはローム層に由来する粘土に加えて、花崗岩が風化した影響で可塑性も増した粘土が使われています。地元産の粘土を利用しながら、江戸時代から伝わる製法で作る笠間焼は、外国産の日用品が普及した現代においては極めて貴重ではないでしょうか。
栃木県の日光では、東照宮の造営に際して多数の職人が活躍したことで有名ですが、この影響で日光彫を生産する文化も根付きました。日光彫は木材を原料にして、職人が繊細な手さばきで彫刻を施す作品です。東照宮の完成後には、江戸幕府の命令によって度重なる修理が行われたため、先人が編み出した技術は連綿と受け継がれてきました。日光が国際的な観光地として知られるようになると、外国人観光客からの人気を集めるようになり、主要な輸出品になった経緯があります。
関東の広い範囲で作られる伝統工芸品を選ぶとなると、ダルマを連想してしまいます。群馬県の例では少林山達磨寺が有名ですし、熊谷や川越などでもダルマ市が開かれています。このような地域では、張り子のダルマを作る伝統があります。生産の担い手になるのは専門的な職人だけではなく、農家の人が農閑期の収入を得るために作ることもありました。林田学
最終更新日 2025年5月24日 by nakojp